モルフォチョウの上層鱗が持つ波長選択的かつ異方的な光拡散効果
2004年の論文、
Proc. R. Soc. Lond. B271, 581-587 (2004). に基づく解説です。 |
一般的に、チョウの翅の鱗粉には二種類があり、二つの層を形成するように
配列しています。そのため、下側にある鱗粉は下層鱗、上側にある鱗粉は上層鱗と呼ばれています。通常、上層鱗は明るい色を持っている場合が多く、反対に下層鱗は暗くて地味な色をしていることが多いです。光を反射する役割を担うのが上層鱗で、そこを通り抜けた光を下層鱗が吸収し、色を鮮やかに見せる効果があるのです。
ところがモルフォチョウの場合にはちょっと事情が複雑です。まず始めに、
一種類の鱗粉しか見えないような種類がいます。代表的なモルフォチョウ、モルフォレテノールがその例で、鮮やかな青色をしている鱗粉が下層鱗です。一方の上層鱗は極めて小さく退化していて、上から顕微鏡でながめるだけでは見つけることはできません(図2右)。上層鱗は実質的に無視できるほど小さく、反射には寄与していないのです。
鱗粉配列では下層鱗の輝きが弱くなるような照明配置で撮影
別種のモルフォチョウ、図1のディディウスモルフォでは、上層鱗と下層鱗が、はっきりと二層構造を形成しています。図1右で、黒っぽく写っている鱗粉が下層鱗、白っぽくみえるのが上層鱗です。(上層鱗の配列をわざと乱して、下層鱗がみえるように撮影しています。)上層鱗はglassスケールとよばれるほど透明感があり、一方の下層鱗は濃い青色を持っています。仮に、主に反射を担うのが鮮やかな青色の下層鱗だとしたら、上層鱗は何のためにあるのでしょう。
実は、上層鱗があるモルフォチョウと、上層鱗が無視できるほど小さくなったモルフォチョウでは、翅を眺めたときの質感に違いがあります。上層鱗のないモルフォでは、翅の青色がツヤツヤとして濡れているような質感があります。一方、上層鱗があるモルフォチョウは、表面がザラザラとした印象で、ツヤがあまり感じられません。このことから、上層鱗が何らかの光学的な役割をはたしていることは、間違いありません。
上層鱗の光学的な役割を解明するため、上層鱗の微細構造と光学特性、そして下層鱗の上に重なったときの光学効果を、モルフォディディウスを題材に詳しく調べました。その内容を以下で紹介します。
まず始めに、翅の反射特性がツヤのある種類と無い種類でどのように異なるのか、スクリーン上の反射パターンとして観察したのが図4です。スクリーンを用いた実験については、”モルフォチョウ構造色の基本原理”についての説明の図4を見てください。
図4 モルフォチョウの翅の反射パターン
スクリーンにあけた穴を通して試料を白色光で照射している。
レテノールモルフォでは、モルフォチョウ特有の異方的な反射パターン(リッヂに垂直な面内にのみ反射光が広がることが原因)が見て取れます。一方、ディディウスモルフォでは、反射パターンは円形に近く、青い光が拡散的に(等方的に)反射されていることが分かります。
さらに、ディディウスの上層鱗をメンディングテープを用いて慎重にはがし、下層鱗だけの状態を作りました。
そうすると反射パターンは、異方的に変化するのが観察されました。
すなわち下層鱗はレテノールと同様の反射特性を持つ一方で、
上層鱗は青い光が反射される方向を大きく変える役割を果たしているのです。
鮮やかな青色を生み出すのが下層鱗だとすれば、ますます上層鱗の役割が分からなくなります。反射の方向を拡散的(等方的)にするにしても、例えば青い下層鱗の上に、何かすりガラスのようなものをおけば反射光は等方的に広がるでしょう。しかし、おそらくその場合には、光が最初に当たるのはすりガラスなので、全体的には白い色が強くなってしまうはずです。
翅の青色を維持するにはなにか仕組みが必要です。モルフォチョウの上層鱗はどんな構造を持ち、どのような光学特性を示すのか、さらに研究を進めました。
図5 モルフォチョウの鱗粉断面
上層鱗と下層鱗の構造比較。左は走査電顕、右は透過電顕。
上層鱗と下層鱗の微細構造を比べたのが図5です。上層鱗は、意外にも、
かなりシンプルな構造を持っています。鱗粉の底部の板が薄い板としてあり、
その上にはリッヂと呼ばれるせり出した棚型構造がまばらに配置しています。
一方の下層鱗は、棚方の構造が密に林立している様子が見て取れます。
透過電顕では上層鱗と下層鱗の断面が両方同時に見えていますから、
リッヂの密度の差の違いがよくわかります。
反射特性を調べるために、鱗粉一枚からの反射パターンを比較したのが図6です。下層鱗からの反射光が帯状の異方的な反射パターンになっているのに対して、上層鱗の反射パターンには、水色と青に二本の帯が見えています。これが上層鱗の光学特性の大きな特徴です。図5単純な微細構造からどのようにして、二方向に分かれる反射が得られるのでしょうか。その説明のために図7のようなモデルを考えました。このモデルは、上層鱗の鱗粉には二つの反射構造があることを含んでいます。一つ鱗粉底部の薄い板で、薄膜干渉を起こせば青色着色に寄与できます。もう一つはリッヂの中の棚型構造です。棚型構造の棚は、底部の板に対して平衡ではなく、角度がついてせりあがるような構造を持っています。そのため、底からの反射光は、底部の板からの反射とは異なる方向に反射されます。
図7 二方向反射のモデル
図7のモデル仮説を確かめるために、二本の帯で反射スペクトルを測定しました。まずは水色の帯部分のスペクトルです(図8)。470nmあたりの反射ピーク、長波長で 反射率が上昇する様子は、予想通り薄膜干渉で説明することができました。厚さは 電顕観察から決定しています。
上層鱗の反射光は青と水色の二つの帯を形成する。
一方青色の帯に関しても測定を行いました(図9)。そうすると、同じく470nm付近に鋭いピークを観察することが出来ました。このスペクトルはリッヂ内の棚型構造を多層膜構造のように考えると、定性的に説明することができます。
上層鱗内部の異なる構造から反射された光が、共通の波長で
ピークを持つのは興味深いことです。
さらに研究を進めて、下層鱗一枚での積分反射率の測定を行うと、
図9-2のように下層鱗もやはり同じ波長でピークを持つことが分かりました。
図9-2 下層鱗と上層鱗の積分反射率
図8 上層鱗:水色の帯の反射スペクトルと理論計算(上)
図9 上層鱗:青色の帯の反射スペクトルと理論計算
ここまでの観察結果をまとめると、モルフォディディウスの翅には、三つの青色反射構造があることがわかりました:上層鱗の底部の薄膜、上層鱗リッヂの棚型構造、そして下層鱗の棚型構造です。そして、そのすべてが470nmにピークを持つように、微細構造の大きさが設計されているのです。
モルフォディディウスの三つの反射構造と共通のピーク波長
上のような光学特性をもつ上層鱗と下層鱗の重なった構造に関して、図11のような二層構造として翅のモデル化を行いました。このモデルによって、光が反射される方向と強度について詳しい解析を行うことができます。また、反射光の角度依存性に関して詳しい測定を実行し、上で述べたようなディディウスモルフォの上層鱗が、波長選択的に拡散板として機能することを確かめました。
図11 反射方向と強度のモデル計算
特別なデザインの上層鱗により実現された反射方向の等方化、それにはどんな意味があるのでしょう。
上層鱗がある種類と無い種類の生息環境(森林の中か、あるいは光の多い場所か)を調べていくと、その意味が明らかになっていくかも知れません。例えば、光量が多い環境では、青色を全方向に反射させても、目立つことが出来るでしょう。一方、薄暗い中では、異方的な反射を維持し、特定の方向にのみ青色を反射させた方が色が周りから見やすいのかもしれません。生息環境とチョウの戦略が上層鱗の進化に関係があるのではないかと考えています。
この研究では、人間が感じるツヤに、反射パターンが関与していそうなことが示唆されました。これを踏まえて、反射方向を意識しながら青色の再現発色板を製作する方向に、研究は発展していきました。