モルフォチョウ構造色の基本原理:規則性と不規則性の共存
2002年に発表した論文、
FORMA 17, 169-181 (2002). Proc. R. Soc. Lond. B269, 1417-1422 (2002). に基づく解説です。 |
モルフォチョウは構造色全体における代表例で、これまで数多くの科学者が研究をおこなってきました。
膨大な数の論文が発表されてきましたが、青色の発色原理に関するものから、応用を目指した研究まで、
研究の内容も様々です。そのなかで、あえて代表的な論文を選ぶとすれば、
・Masonによる光学顕微鏡観察 J. Phys. Chem. 31, 321 (1927).
・AndersonとRichardsによる初めての微細構造観察 J. Appl. Phys. 13, 748 (1942).
・Vukusicらによる単一鱗粉での光学測定 Proc. R. Soc. Lond. B266, 1403 (1999).
・松井らによる微細構造の人工的再現、J. V. Science and Technology B: Microelectronics and Nanometer Structures 23,570(2005)
などが挙げられるでしょう。モルフォチョウの構造色に関しては、2010年現在でも論文が発表され続けています。
モルフォチョウの鮮やかな青色の発色原理には、光の干渉が関係していることは古くから指摘されていました。20世紀初頭、レイリー散乱で有名なレイリーは、薄層が重なった構造の反射スペクトルの計算方法について論文を書いています。その冒頭に、昆虫や鳥の羽根の鮮やかな色は多層膜の干渉によって生み出されていることを推測をしています。上の代表的な論文に挙げたMasonも、電子顕微鏡がまだ開発されていない時代において、光学顕微鏡観察の結果のみから、かなり正確な微細構造の模式図を論文中に残しています。モルフォチョウの青色の発色原理に関しては、”光の干渉”というアイデアが、波長選択反射を説明するのには魅力的であっため、多層膜干渉モデルや回折格子モデルなど、微細構造の規則性のみに注目した物理モデルが提案されていました。しかし実際には、規則性だけでなく微細構造の不規則性が重要な役割を果たしています。そのことを示した論文を紹介します。
モルフォチョウの翅の構造を大きなスケールから順に見ていきましょう。
図1は翅の顕微鏡写真ですが、チョウの翅の上には鱗粉と呼ばれる大きさ70x150μm、
厚さ数ミクロン程度の小さな薄い板が、屋根瓦のようにびっしりと敷き詰められています。鱗粉の並ぶ方向は、およそ、翅の付け根部分(体の部分)から先端方向に向かっています。一枚の鱗粉を拡大すると、数多くの青い筋を見ることができます。
ほとんどのチョウが、鱗粉の上に筋状の構造を持っており、この筋はリッヂと呼ばれています。そのリッヂの一本一本が青色に見えるのが、モルフォチョウの特徴です。
リッヂの間隔はモルフォの種類にもよって変わりますが、
オーダーとしてはおよそ1μmくらいです。
翅の上には青い鱗粉がびっしりと並んでいる。
一枚を拡大すると、数多くの青い筋(リッヂ)
が見える。
電子顕微鏡を用いて観察すると、光学顕微鏡で見られたように、鱗粉が配列している様子(図2上)と、筋構造が鱗粉の上に確認できます(図2下)。
さらに、透過型電子顕微鏡を用いて鱗粉断面を詳しく観察すると、 青色を生み出す構造をやっとみつけることができます(図3)。 その形状はとても複雑なのですが、 クリスマスツリーが並んだ林のように見えるかもしれません。 一本の筋の断面が一本のツリーに対応していて、幹からは左右に10本くらいの枝が飛び出しています。あるいは、本棚の棚が左右に飛び出た棚構造と表現することもあります。
図3鱗粉断面の透過型電子顕微鏡写真
林立した棚構造の下にあるのは、鱗粉底部の膜で、鱗粉の裏側から見ると(翅の膜に面している側から見ると)単純な膜が見えるような構造になっています。上部が複雑で、下部が単純になっている鱗粉構造は、多くの構造色を持つ蝶に共通して見ることができます。
電子顕微鏡観察の結果から、鱗粉の微細構造を模式的に描くと図3-2のようになります。
模式図の色は、実際の色ではなく、棚型構造とその下部の構造を区別するためにつけています。
鱗粉のリッヂ内部にある棚型の構造がどのようにして青色を反射するのでしょうか。その仕組みに関しては、多層膜モデルが提案され青色発色を説明してきました。 このモデルでは、異なる屈折率を持つ薄膜が、複数積層した誘電体多層膜ミラーのような構造として、鱗粉構造を考えます。本棚の棚を無限に広げて、膜とした考えたモデルです。周期的な層構造を仮定することにより、青色の波長を選択的に反射する特徴を説明することができます。しかし、このモデルは図4に示すモルフォチョウの特異な光学特性を説明することができません。
図4 モルフォチョウの異方的な反射特性
上の三枚は、同じモルフォチョウを三つの方向から観察。
左下は、スクリーン上に異方的に広がった反射パターン。右下は、反射パターン観察の実験配置図。
モルフォ鱗粉の反射には大きな特徴があります。観察する方向によって、
明るさが大きく変わることです。図4に示すように、モルフォチョウは後翅の方向から見ると、青さを保ちますが、横から見るとほとんど真っ黒に見えるのです。
この特徴はスクリーンに映した反射パターンからも読み取ることができます。
(スクリーンにあけた四角い穴を通して、白色光を翅に照射し、その反射光をスクリーン上の反射パターンとして観察しています。)スクリーン上の反射パターンが細い帯状に広がっていることは、特定の面内だけに光が反射されていることを意味します。
そのため、その面内に含まれない角度方向から観察すると、青色の反射光がほとんど見えないのです。
例えば光が鏡で反射された場合、光は特定の方向にだけ反射されるので、
スクリーン上に明るく小さいスポットが表れます。一方、普通の紙のような表面がザラザラとした物体の場合には、拡散的な反射が起きるため、
ぼんやりと広がった円形のパターンがスクリーン上にはあらわれます。
モルフォチョウの翅は、ある特定の面内にだけ強く光を反射させるので、
両者の中間的な性格を持っているといえるでしょう。もちろん、
青色の光のみを選択的に反射することも大きな特徴です。
平面的な多層膜モデルは本質的に鏡と同じなので、反射光がある面内に広がる性質を説明することが出来ないのです。
モルフォチョウの反射特性には、青色の波長選択性があること、
そして、反射の広がりがある平面内にだけ異方的に広がること、がわかりました。
Kinoshitaらの提案した図5の切れ切れの多層膜モデルは、この二つの特徴をうまく説明します。
図5 切れ切れの多層膜モデル。反射光はリッヂに垂直な面に反射は広がる
解析の数学的な部分は論文を参照してほしいのですが、
このモデルは光の干渉と回折を組み合わせた次の三つの要素でモルフォブルーを説明します。
@一つのリッヂの内部では棚が縦方向には周期的に並んでいる。そのため、光の干渉によって青い光が選択的に反射される。
A一方、一枚の棚の幅は光の波長と同程度くらいに狭い。
そのため、棚に垂直な平面内には強い回折広がりが起きて帯状の反射パターンが生まれる。
干渉と回折はどちらも波一般が持つ性質ですが、干渉に比べると回折現象はやや馴染みが少ないかもしれません。例えばスピーカーから発せられた音の波を、およそどの方向からでも聞くことができるのは、スピーカーの振動部分(スピーカーユニット)が音の波長よりも小さく、音波が球面状(どの方向にも)広がるからです。
波長よりも小さい部分から波が出て行く場合、必ず角度広がりが生じるのが波の回折現象です。モルフォチョウの場合には、棚構造の板の幅(300nm程度)が波長程度に狭いために、そこで反射された光には(筋方向に垂直な平面内に)大きな回折広がりが生じます。一方、リッヂの筋方向には膜構造は長いので、回折広がりの角度は小さくなります。これが図4下に現れた帯状のパターンの原因です。
切れ切れ多層膜モデルのもう一つの特徴は、
B異なるリッヂ間に導入された高さの不規則性、です。
仮に不規則性が無いとすると、等間隔に並んだリッヂ構造から反射された光は互いに干渉し、反射型の回折格子のように機能します。そうすると、反射の青い帯は、帯ではなくスポットになってしまいます。実際にはそんなことはなく、青い帯は帯として観察されます。この不規則性のために、光は広がることが出来るのです。(高さの不規則性は電子顕微鏡観察からも確かめられています。)
モルフォチョウの研究を少しずつ進めていく過程で、構造色をどのように研究していけばよいのか、その方法論や注目すべき視点がかなり分ってきました。図6のように単一鱗粉でしっかりと光学特性を把握する必要性を認識できたのも、モルフォチョウ研究の過程においてです。
図6 鱗粉一枚からの反射透過パターン
上で述べたように、モルフォチョウ構造色の特徴(青い色と異方的な反射の広がり)は、切れ切れの多層膜モデルで説明することが出来ました。モルフォチョウの鱗粉は、規則性と不規則性という相反するような二つの要素を微細構造内部に共存させ、
干渉と回折、干渉性と非干渉性、という二つの性質を巧みに利用し、独特な青色を生み出しているのです。
しかし、モルフォチョウの発色機構はそれで全てではありません。
・棚構造の下にあるメラニン色素の効果
・偏光特性
・意外に大きい種類による発色機構の差
・リッヂの並びの効果
・二種類の鱗粉の役割
・白いストライプ模様の秘密
・モルフォブルーの応用、再現発色板の製作
などに関して、現在でも研究が続いています。